「夢をつかむイチロー262のメッセージ」(ぴあ)より
たのしんでやれ、とよくいわれますが、
ぼくには、その意味がよくわかりません。
2004年10月、258本安打の記録達成後の言葉
この言葉の後、イチローはこう続けている。
「たのしむというのは、決して笑顔で野球をやることではなくて、充実感を持ってやることだと解釈してやってきました。ここに辿り着くまでのことを、いわゆる『たのしんでやる』というような表現は、とてもできません」
マジかよ…。前回の投稿で「野球を楽しんでいて、夢中だっただけなんじゃないか」ということを書いたが、早くもそれを覆すような言葉が出てきた。
…と最初は思ったが、よく考えるとそんなことはないと気づいた。
イチローは「たのしむ=充実感を持ってやる」と「たのしんでやる」を明確に区別している。
「たのしむ=充実感を持ってやる」は、自分が真にありたい姿ややり遂げたいことがあり、それを夢中で追い求めた結果、何かしらの成果を得て充実感があること。時には辛く厳しいこともあるのかもしれないが、真の目的のためならあまり苦にならなかった可能性がある。
一方で、「たのしんでやる」は、嫌なものを無理やり楽しいと感じながらやろうとすること。「笑顔で野球をやることではない」という表現から「楽しければほかはどうでもいい」という刹那的な考え方も含まれるかもしれない。
さて、258本安打という前人未到の記録にたどり着くまで、イチローは、どんなフォームなら打ちやすくなるのか、どんなバットの振り方をすればフライにならずに出塁が可能になるのか、さまざまなことを夢中になって研究し、日々実践してきたはずだ。
これらの中に、やりたくないものなどなかったのではないか。なりたい自分が明確だから、そのためにやりたいことも次から次へと湧いてきて、それらを実践しひたすら「たのしむ=充実感を持ってやる」ことに精いっぱいで、嫌なことを無理矢理「たのしんでやる」余裕なんてなかっただけなのではなかろうか。
だから、「意味がよくわからない」という表現になったと思うと、合点がいく。
イチローがいかに野球に体力や時間などの限られたリソースのほぼすべてを注いできたことをうかがわせる、面白い言葉だ。
僕も、やりたいことが明確になってから、仕事が自然と楽しくなってきた。
周囲からは「大変だね」「苦労してるね」と言われることもあるが、本人は全然そんな風に感じていなかったりする。
「おまえみたいに、仕事をたのしんでやらなきゃな。」そう言われてもピンとこないのは、イチローと同じく「たのしむ=充実感をもってやっている」からかもしれない。
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